昭和は、魑魅魍魎として面白い時代だった。

チョットした才能とアイデアと行動力があれば、誰でも一流で稼げた。

日本史上3大変革期の一つで、世の中の支配の軸が大きく動いた時代だったのだろう。

戦国時代は、天皇・公家から武将の時代に移行し,

明治維新では、廃藩置県により平民・商人の時代に.

昭和期は、戦後の荒廃からの復興を目指して、高度成長期になり、企業家の時代にとステージは大きく様変わりしたのである。

そして現在はコロナ禍で人的関わり合いが閉ざされ、新たな生き方を問われる時代へと突入している。

 

私は通称:ポジティブアップの通称AKI

就職したコンサルタント会社の仕組みを、簡単に紹介しよう。

よく似た組織形態は<吉本興業>でありこれからの説明でイメージしていただくと分かり易いと思う。

営業兼務のタレントマネジャー150名が、日本全国20数拠点に配備され、大企業から社員数3名の極小企業まで。

日本全国の264万社と公共団体など、人が集まる組織や集団が顧客・クライアントである。

タレントマネジャーが獲得してきた案件を、会社に所属するコンサルタント150名がいわばタレントとしてクライアントの企業に出向き、問題解決する。  

売れるコンサルタントの年収は最上位で2億円、役員クラスで3千万円、主力で2千万円、アシスタントで800万円程度である。 *2000年当時

売れるコンサルタントの必須要件は、リピートオーダーに繋げることである。

リピートオーダーを取れるコンサルタントは、タレントマネジャーの営業に喜ばれ、新規クライアントへのアサインを獲得できる。

即ちお客クライアントにも社内の営業職からもリピートオーダーを獲得することである。

 コンサルタントと営業兼務のタレントマネジャーは、案件ごとのフリーな結びつきであるから、リピートオーダーが収入増になる。

   私の年間の指導先クライアント数は約30社ほどで、関係の深さは濃淡があり深くかかわるのは年に2社程度。

  指導形態は、<コンサル会議>で各種テーマごとの問題解決、<セミナー>などである。

 東京案件が40%程度、出張はホテル暮らしが120日、飛行機利用が年50Flight、名古屋・大阪は新幹線。

 本社事務所への出社が月に3日(役員会や幹部会)、殆ど自社事務所にはいない。

 本社にコンサルタント兼務の役付き役員がいないのだから、周囲は困る、判子がもらえない、出張精算が出来ない、だから判子は一切ない、出張精算は申請通りに出す、でもほとんど誤魔化す奴はいない、いても大した額にはならないからそれで良いのだ。  決済は全て口頭で行う、私は45年間の会社員生活で決済を受ける書類を作成したことが無いし、役付き役員として決済印を押したことが無い。

 メインの都市銀行から多くの出向社員を迎えたが、皆、一様に驚愕し・困り同時に関心していた。

 本社に専用の机がないし、役員部屋もないし、判子もない正にコロナ禍で起こった変化そのものを行っていた

   ど のようなコンサル案件が多かったかと言うと、創業経営者からの「息子への継承不安」である、創業経営者の最大の不安である。 

 「コンサルタントと言う職業は、経営者の不安の故に成り立つ」 

 終戦後の復興時にアイデアとチャレンジ精神豊かに、企業を創出し、成長路線に入り、時代の波にも乗り急成長をし、やがて立派な会社と言われる。

 日経ビジネス社の「企業の寿命30年説」の言うように、そのように思えるところがある。  

  創業経営者が30歳で起業して30年で60歳になり、息子にバトンタッチをすることを考えると不安になる。

 今の事業で将来生き残れるのか?  競争相手に伍してやれるか?  現在の経営陣は俺が育てた子飼いであるが、果たして息子はリーダーとしてリードできるだろうか? 不安が渦巻く・・・。 

 この不安に対処できる道標を示せば、受注できる。

 同様の課題を抱える企業は五萬とある、クライアントには困らない、忙しすぎて家に帰れない! 最大の悩みである。  

 このBLOGでは以下の視点で展開したい

 ◇体験から分かったことは、最高級の贅沢料理は飽きると言うことだ、地方への出張時にはクライアントからご接待を受ける場合も多々あり、その場合はその地の最高の料理屋にご招待いただく。  

 地方色豊かなモノなら嬉しいが、単に最高の割烹料理は飽きる。  

 若いころに都市銀行の頭取と築地の最高の料亭で会食したが、その際に頭取がつくづく言った言葉が印象的であった。  

 私が売れるコンサルタントになって、頭取のお言葉に深く共感を覚えたものである。

 「どんなに素晴らしいご馳走も毎日だとウンザリですよ、ラーメンでもすすっていた方がうれしいね」

 ◇私は40年間で1200社のクライアントを担当した、その経験の中で深く関りあった、印象に残った事例をご紹介したい。  

一般的な企業人は生涯1社しか知らない、出向や転職をしても精々数社である。   

転職した人が良く言う「会社って様々ですね!」 普通の人は他社のことを良く知らない、<他社の事例>は高い関心を示してくれる、そんな事例を多くご紹介したい。

 ◇併せて、事例に活用した理論やモデルもご案内し、巡り合ったB級GOURMETや下のお話などをご披露したい。 

私の場合は、韓国企業10社ほどで大掛かりな仕事をし、中国での仕事を数回している。